D.A.ノーマンの近著「複雑さと共に暮らす」

お盆休みで、広島から横浜の自宅に帰省している。目下、来春刊行予定の「インタフェースデザインの教科書」(仮)の執筆で、暑い中、部屋に籠っている。執筆にあたって、D.A.ノーマンの近著「複雑さと共に暮らす」を読もうと思い購入した。まだ、読んではいないのだが、アマゾンのレビューで、とても参考になるきちんとしたコメントがあったので、それを下記に引用する。
その中で興味を引いたのが、・・、ノーマンは、いろいろと論議を巻き起こした「アフォーダンス」を、「シグニファイア」と用語を変更したようである。

引用(By 努歪徒慕凜者)■
『複雑さと共に暮らす(Living with Complexity)』の原書は,出版社やタイトルの関係で発行されるまでに時間がかかった。元々のタイトルは,「訳者あとがき」にあるとおり,「社交的デザイン(Sociable Design)」だった(ただし,Don Normanの言う"Sociable Design"とは,「付き合いやすい」デザイン(設計)の意味だと思う)。
『誰のためのデザイン?(The Psychology of Everyday Things)』の日本語版への序文でNormanは,「私たちのまわりは,暮らしを過ごしやすく,より楽しいものにしてくれるたくさんの工業製品であふれています。……ところが,その多くが私たちの暮らしのいらいらの種となっているようです。暮らしは,過ごしやすくなるどころか,難しくなっています。あなたの暮らしは必要以上に複雑なものとなっていませんか」と書いている。ユーザー・インタフェースの世界では,この書物を一つの契機として,デザインは操作が「簡単(simple)」であること,とされてきた。
しかし,科学技術の進展から機器に「複雑性」が伴うのは当然の成り行きである。しかも,ユーザーにとって最初は複雑でわかりづらいと思われる機器の中にも,慣れるにしたがって使用に何の困難も感じなくなるというものがあるはずだ。このような観点から著者は,問題は「複雑性」ではなく「わかりにくさと,その結果生まれる矛盾」にあるのではないかと考えた。つまり,デザインは「やたらと込み入った(complicated)」り,「人を戸惑わせた(confused)」りしてはならないが,「複雑(complex)」になるのは,ある意味,当然であり必然であるということである。
『誰のためのデザイン?』でNormanは,ユーザー・インタフェースにおいてJ. J. Gibsonの「アフォーダンス(affordance)」の概念をデザインに導入したが,その解釈は誤解を生んだ。そのため,本書においては「アフォーダンス」との違いを明確にするために,「シグニファイア(signifier)」という用語を提唱した。「アフォーダンス」とは生体と物との間の関係性を意味するが,その認識については問題としない。それに対して,「シグニファイア」とは物が人間に働きかけ適切な行動を誘発する知覚可能なサイン(例えば,防火扉の取っ手,部屋のドアノブ,ふすまの引き手などは,その形が扱い方を暗示している)なのである。
以上のように,二大傑作『誰のためのデザイン?』及び『エモーショナル・デザイン(Emotional Design)』を経て,Normanは遂に『複雑さと共に暮らす』ことに落ち着いたのである。
Normanは今では認知工学の分野で有名だが,そもそも認知心理学の領域で注目された研究者であり,注意,学習,記憶などの分野でD. E. RumelhartやD. G. Bobrowなどと共に優れた研究をしてきた。Normanは,東京大学の三宅なほみ教授(UCSD,Ph.D.)の指導教官としても知られているように,多くの科学者を育ててきた。また,アカデミックな世界だけにとどまらず,アップル社の副社長などを歴任するなど,理論から実践まで幅広い活動をしてきた。その著者が70歳代で達した一つの境地が,本書なのである。
この翻訳を担当した人たちは,認知科学の領域における一線級の科学者であり,Normanの著作の翻訳を継続して行っている。その翻訳は非常にこなれた筆致であり,原著者のNormanと何度もやりとりして訳文を仕上げたのがよくわかる。また何と言っても,Normanの著作の多くの翻訳を出版してきた新曜社の功績は大きいだろう。