大きな予測の真偽

最近、新聞を読んでいると大きな予測の真偽に強く疑問をもつ。昔に有名なのが、1970年、ローマ・クラブが「成長の限界」で述べた、30年後には石油が枯渇して世界が大変なことになる。すでに40年も経ているが石油は枯渇していない。ある本で読んだが発掘関係の埋蔵量推定は30年単位だそうだ。大きな予測の話にはどうしても政治的な匂いがする。これと同じことが、自然エネルギーは需要の20%程度しか供給できないという経産省の見解である。どうしても原発を進めたいという意図が丸見えである。その予測には技術革新(蓄電、藻の石油化なども)をまったく考慮されていない。
原発の話で興味深かったのが、7/10の朝の番組に出演した古賀さん(改革官僚で官房付きの閑職)のコメントである。何故原発再開を経産省が早くしたいかというと、来年春に全部原発が止まっても何も問題が起きないことが明らかになってしまうからではないかと述べた。つまり、原発推進の根拠が消えてしまうからである。真偽は別として現役官僚の意見の鋭さには敬服する。したがって、大阪府知事の電力会社の脅しに屈しないというコメントにも賛同したくなる。
菅首相が埋蔵電力の有効利用を国会でも述べたが、各種の報道によると、民間の電力能力は半分程度しか使っていない。電力会社が自由化したくない気持ちが理解できた。その民間の埋蔵電力を用いると原発の能力を超えてしまうのである。原発は安価というのも、原発震災の莫大な賠償金問題も含めなくても、色々なところからの計算で嘘であることは明らかになった。もちろん、環境に優しいという理由も現在の放射能問題で、今は誰も信じない。こんなにも状況証拠が揃ってきているのに、週末のNHKの番組での保安院原発推進の答弁は可哀想になった。電力という独占の蜘蛛の巣のように張り巡らされた利権構造が背景にあるので、さらに大きな抵抗の津波が来るであろう。経団連の電力の産業供給への不安も会長の発言から垣間見る。なにはともあれ、大きなパラダイムシフトが始まろうとしているので、その移行期間をどのように円滑にするかに知恵が要る。やはり、ドイツのように政治的な判断で、今後は原発を少しずつ廃止して行くという政策を内閣決議または法案化する必要があろう。以上、個人的な所感として。なお、放射能というパンドラの箱はすぐに閉めるべきであろう。