リモコンのインタフェースについて考える

かなり昔の話、約40年前であるが、新入社員の時、商品研究所(三菱電機)の中に、ベターリビングセンターという新しい建物があった。その建物には未来の家電生活が展示されていた。デザイナーも参加していたので、華やかな展示であった。
技術側では、当時流行っていたホームオートメーションという考え方で、家電製品の操作をリモコンで行おうという提案であった。赤外線などを用いたワイヤレスのリモコンが製品化され始めた頃で、統合型のリモコンさえあれば、全ての製品の操作が手元でできるという「便利で快適な生活」が実現する目論見であった。
新入社員という恐れを知らない時期であったので、カーテンをリモコンで開くデモを見せられて、直感的に、「これは寝たきり老人のためのシステムですか?」と尋ねてしまった。その時の担当者の困惑した顔を思い出す。人々がカーテンを開く行為の中に、家の外の状況を肌で感じるという人間的な大事な意味がある。
何でもかんでも「便利で快適」という効率主義の考え方では人間的かどうか疑問である。また、全ての操作を人間に求める考え方であったので、リモコンはボタンだらけになり、とても使い難いものであった。基本的に、ユーザーに全ての操作を求めること自体、無理なことで、ユーザーは「万能の神」ではないのである。
このホームオートメーションは、操作が複雑と人間らしい生活を向上させるという視点から反していたので普及はしなかった。
その後に登場したのが、当時流行った人工知能の考え方を未来の家電生活に応用しようというものであった。部屋が寒かったら自動的に暖かくなる判断を人工知能が行うのである。その考え方自体は、ユーザーの操作負荷を軽減するので、間違ってはいないのであるが、それが人間的に優しいかどうかが問題である。勝手に人工知能が判断して操作するというのは、場合によっては気持ち悪いことが起こる。
例えば、帰宅したときに、勝手に人工知能が判断して部屋を暖かくしていたら、エアコンを付け忘れたのかと思ってしまう。操作の鉄則に、「ユーザー側に主体的な制御権」がある。ユーザーが関知しないで勝手に人工知能が判断して操作するのは、ある程度限定される必要があります。この課題を解決する必要がある。
そこで筆者が考えたのが、ソーシャルネット的な考え方を用いたインタフェースです。たとえば、自宅のエコーネットのようなシステムが、寒い夜の帰宅の途中にスマホGPSの位置を察知して、ソーシャルネットで「エアコンの電源を入れましょうか?」とスマホに連絡があったら、生活者は「いいね」ボタンを押すと帰宅したときに部屋が暖まっているというサービスが実現する。このように、「ユーザー側に主体的な制御権」を託すのである。
これは、インタフェースデザインのソーシャルネット化ともいえ、生活者とエコーネットに参加している家電との新しいコミュニケーションで、新たなユーザー体験でもある。